予兆と戸惑い
入社式の喧騒が遠のいた懇親会の会場で、私たちは張り詰めたストッキングの窮屈さに耐えていた。つい数ヶ月前まで自由な女子大生だった私たちは、お仕着せの黒いリクルートスーツに身を包み、まるで均一なコスプレを施された人形のように所在なく並んでいる。「少し、息が詰まるね」声をかけてきたのは、同じ配属先となった同期の男子社員だった。手渡されたグラスの冷たさが、汗ばんだ手のひらに心地よい。彼の手首から漂う、わずかに苦いシトラスの香りが、会場に満ちる料理の匂いを一瞬だけ打ち消した。「本当ね。みんな同じ顔に見えてくる」私たちは小さく笑い合ったが、その視線は互いのグラスの縁を彷徨っている。彼のネクタイの結び目が、呼吸に合わせてかすかに上下する。その完璧な結び目に、私たちはなぜか、暴いてはならない秘密を見てしまったような戸惑いを覚えていた。
熱の伝播
懇親会が進み、余興として始まったのは、古典的で悪戯な「野球拳」のゲームだった。じゃんけんに負けるたび、上着を脱ぎ、ネクタイを外し、身にまとった「社会人の鎧」が剥がれていく。「次は、僕の負けか」彼が苦笑しながらジャケットを脱いだ。白いシャツ越しに見える肩の線が、想像以上に逞しい。私たちは、自分たちの胸の鼓動が速くなるのを感じていた。ゲームという口実の裏で、視線が交わす意味が変容していく。床に落ちた彼のジャケットは、まるで主を失った抜け殻のようだ。その生地の擦れる音が、耳元でやけに大きく響く。冷房が効いているはずの室内なのに、私たちの肌は内側からじわじわと熱を帯び、薄いブラウスの生地が皮膚に張り付くような錯覚を覚えた。彼の瞳が、私たちの濡れた唇へと向けられ、そのまま動かない。沈黙の秒針が、恐ろしいほど長く引き延ばされていく。
変容する境界
じゃんけんの合図が響くたび、空間の酸素が薄くなっていくようだった。次に負けたのは私たちだ。「……脱ぐよ」張り詰めた空気の中、私たちは指先で第一ボタンに触れた。その指は、まるでおもちゃのネジを回すようにぎこちない。ボタンが外れた瞬間、鎖骨のくぼみに滑り込んだ冷たい空気が、かえって体内の熱を際立たせた。彼の視線が、露わになった首筋から、微かに震える指先へと注がれる。その瞳は濁り、言葉にならない熱を孕んでいた。私たちはもう、ゲームの勝敗などどうでもよくなっていた。互いの吐息が混ざり合い、皮膚の境界線が曖昧になっていく。あと一度、じゃんけんの手を突き出せば、私たちは新卒という肩書も、理性の制服も、すべて脱ぎ捨てて彼の胸に飛び込んでしまうだろう。そんな破滅的な予感に震えながら、私たちは次の合図を待った。
