トワイライト・アトリエ
「そんなに肩をすぼめなくても、誰も見てないよ」
メイクアップブラシを持った彼が、私のあごを細い指先でそっと押し上げた。
放課後の実習棟の一室。美容系専門学校のシザーズケースが並ぶ、鏡張りの部屋。夕暮れの西日を反射する床の上で、私はモデル用のチェアに深く身体を預けていた。
「……だって、こんな距離で見られるの、慣れてないから」
私は自分の指先を弄び、視線を泳がせた。実習用のタイトな制服が擦れて、カサリと硬い音を立てる。
彼は私の戸惑いを気にする風でもなく、ただ純粋なアーティストの視線で私の表情を観察していた。視線が重なり、言葉が途切れるたび、鏡に囲まれた空間のなかに、言葉にできない重い「間」が生まれる。メイクパレットから漂うわずかに甘い粉の香りが、私たちの間の空気をゆっくりと支配していった。
未完成のシルエット
「君は表情が豊かだから、もっと力を抜いてみて。自分をさらけ出すことも、表現の一つだよ」
彼の言葉に、私は鏡に映る自分を直視した。普段は見せないような、無防備で繊細な自分。
この部屋という空間は、いつの間にか私たちの熱を閉じ込める、密閉されたカプセルのようになっていた。窓の外で傾いていく太陽の光が、壁のタイルの隙間をじわじわと赤く染め上げていく。そのグラデーションの変化が、私の内側から湧き上がる名前のない火照りとシンクロしていた。
「……今、すごく心臓がうるさい」
声が微かに震える。彼は手に持っていたブラシをトレイに置いた。コン、というその小さな音が、私の鼓動のスイッチを押したように、身体の芯の温度を一気に引き上げた。溶け合う境界線
「隠さなくていい。その緊張感も含めて、今の君はすごく魅力的だよ」
彼が一歩、私の領域へと足を踏み入れた。彼の服から微かに香る、少しスパイスの効いた香水の匂いが、私の乱れた吐息と混ざり合う。
部屋の鏡のすべてが、私の剥き出しの感情と、これまで経験したことのない激しい内面の昂ぶりを何重にも反射していた。
これまでにない鮮烈な感覚が全身を駆け巡り、彼の真っ直ぐな眼差しを見つめる視線さえも、熱く、潤んでいく。
「ねえ……私、もう昨日までの自分には戻れないかもしれない」
思考が真っ白に染まるなかで問いかけた瞬間、彼は吸い込まれそうな表情で私の変化に釘付けになっていた。プロとしての距離など、もう何の意味も持たなかった。このまま放課後の静寂に二人で溶け込んで、お互いの心の奥まで確かめ合いたい。引き返せない衝動の深淵へと、私たちの意識は強く、激しく惹かれ合っていった。


