偶然のメニュー表
金曜日の遅い夜、街の明かりが少しずつ寂しくなる時間帯に、私たちは小さなダイナーの片隅にいた。数時間前、駅前で「まだ帰りたくないでしょ」と不意に声をかけてきた彼は、驚くほど自然に私の心の隙間に入り込んできた。初対面のはずなのに、彼がまとう気さくな空気と、時折見せる年上らしい余裕が心地いい。彼が頼んだ大盛りの深夜の特製オムライスから、バターとケチャップの少しジャンクで甘い匂いが立ち上り、私の空腹感と乾いた感情をちくりと刺激した。
「本当にこんなに食べるの?」
私が驚いたように訊ねると、彼はスプーンを持ったまま、悪戯っぽく笑った。
「足りないくらいだよ。君も一口食べる?」
差し出されたスプーンを見つめる数秒の間。まだお互いの本名すら曖昧なままだというのに、ダイナーの騒がしいBGMを遠くに聞きながら、二人の間のじれったい距離感がテーブルの上で濃密に引き延ばされていくのを感じていた。
膨らむ熱気と満たされない何か
店を出て、どちらからともなく彼の部屋へ向かうことになった。ドアを開けると、そこは生活感がありながらもどこか無機質な、彼だけの空間だった。彼が上着を脱ぎ、クローゼットにかける乾いた布の音が狭い部屋に響く。
「なんか、まだ話し足りないよね」
彼が私の隣のクローゼットの壁に寄りかかり、まっすぐに私を見つめた。その瞳には、私の戸惑いと、どこか期待しているような心が完全に見透かされている。至近距離から伝わる彼の肌の熱が、衣服の隙間をすり抜けて私の肌を粟立たせた。見つめ合う時間が長くなるほど、部屋の空気は密度を増し、私たちの呼吸がゆっくりとシンクロしていく。さっきまで感じていたはずの満腹感はどこかへ消え去り、もっと強烈な、言葉にできない何かが胸の奥でじわじわと膨らみ始めていた。欲望のベクトル
部屋の窓に映る二人の影は、もうどちらがどちらか分からないほど近づいていた。この閉ざされた部屋のなかで、外の世界の常識や躊躇いは何の意味も持たなくなっている。
「まだ、物足りない顔してる」
彼の低い囁きが耳元に届いた瞬間、私のなかの何かが完全に弾けた。彼の手が私の腰を強く引き寄せ、私たちの身体は完全に密着する。もっと彼を知りたい、この熱を余すことなく受け止めたいという、底なしの衝動が理性を完全に融解させていった。彼の強い眼差しに射抜かれながら、次に起こるすべての展開を全身で迎え入れるように、私はただ熱い吐息を漏らし、そっと目を閉じた。


