秘め事の始まり
左手の薬指に馴染んだはずの金属が、今は酷く重く感じられる。私たちが選んだのは、社会の隅にひっそりと佇む、派手なネオンを消した隠れ家のようなラブホテルだった。
「ごめん、待たせたね」
彼がいつものにっこりとした笑顔で、私の髪にそっと触れる。その指先から伝わる体温に、私の心臓は跳ね上がった。お互いに帰るべき場所があり、守るべき日常がある。分かっているはずなのに、彼の笑顔を見るだけで、私の輪郭は甘く溶けていってしまう。
「ううん、今来たところ」
嘘だと見抜いているような優しい眼差しが、私の視線を捕らえて離さない。
高まる熱と吐息
閉ざされた室内の空気は、瞬く間に二人の熱で満たされていく。彼がジャケットを脱ぐ微かな衣擦れの音が、静寂の中でやけに大きく響いた。
「ねえ、本当にいいの?」
彼の問いかけに、私は言葉の代わりに、彼のシャツの胸元を小さく握りしめる。
見つめ合う時間の長さだけ、二人の間の空気が濃密に揺らぐ。彼の甘い香水の匂いと、私の高鳴る鼓動が混ざり合う。彼の手が私の頬を包み込み、親指が唇をなぞった。その瞬間、じわじわと体温が上昇し、罪悪感は至上の愛の感覚へと塗り替えられていく。境界線を越える瞬間
互いの吐息が重なり、冷えた現実の記憶が完全に吹き飛ぶ。彼の笑顔はどこまでも優しく、私のすべてを受け入れるように微笑んでいた。
「君の全部が欲しい」
その囁きが耳元を掠めた時、私は自分を縛っていたすべての理性を手放した。お互いの存在に強烈に惹きつけられ、もう後戻りはできない。私を抱きしめる彼の腕の強さが、この歪んだ関係こそが今の私を満たす唯一の真実だと告げていた。


