乾いたナイロンと、濡れた視線
「ちょっと、本気で言ってるの……?」
私の声は、プラスチックのような壁に跳ね返って、情けなく自分の耳に戻ってきた。
海に行くはずだった。サークルの憧れの先輩である彼と、他のみんなと合流する前に、少しだけ荷物の整理を手伝ってと言われてついてきた場所。それが、この全面が鏡で覆われた、不自然に冷え切った部屋だった。
手元のデジタルタイマーは、無慈悲に「98:12」を刻んでいる。クリア条件として提示された文字列は、あまりにも破廉恥で、私の頭の理解を拒絶した。
「つむぎ、ごめん。でも、鍵が完全にロックされてて、びくともしないんだ」
彼は白いTシャツの襟元を掴み、ひどく困惑した顔でドアを背にしていた。私はといえば、今年新調したばかりの、まだ潮風すら吸っていないビキニ姿のままだ。薄いナイロンの生地が肌に張り付く感覚が、急に恥ずかしくて、私は自分の肩を抱くようにして身をすくめた。彼が小さく動くたび、スニーカーが床を擦る摩擦音が、この静寂の中でやけに耳障りなほど大きく響いていた。
反転する温度
時間が経つにつれて、部屋のエアコンが止まったかのように、空気がむっと熱を帯び始めた。
お互いに何も触れ合っていないのに、鏡に囲まれたこの空間そのものが、私たちの体温を閉じ込めてじわじわと沸騰させていく。
「……なんか、暑くなってきたな」
彼がぽつりと言って、ついにTシャツを脱いだ。あらわになった彼の胸元や肩のラインが、いつもよりずっと近くにあって、私は生唾を飲み込んだ。彼の肌に微かに浮かぶ汗の粒が、室内の光を浴びてきらりと光る。
言葉が途切れ、私たちの間に、ねっとりとした沈黙が横たわった。私は壁に背を預けたまま、彼の瞳をじっと見つめる。彼もまた、私の水着姿から目を逸らさずにいた。どれだけの時間、そうして視線を交わし合っていただろう。お互いの呼吸のタイミングが重なり、部屋の中の空気が細かく震えるのがわかる。服を脱いだ彼の大人の男の匂いと、私の日焼け止めの甘い香りが混ざり合い、頭の芯が少しずつ痺れていくような感覚に襲われた。終わらない秒針の檻
残された時間は、もう30分を切っていた。
この狭い部屋は、外の世界の倫理や、サークルの先輩後輩という関係性を、跡形もなく消し去るための檻だ。鏡に映る私は、頬を紅潮させ、完全に彼の一挙手一投足に支配されていた。
「つむぎ、もう無理だわ。俺、ずっとお前のこと、そういう目で見てた」
彼の低い声が、至近距離で私の鼓膜を震わせた。一歩、また一歩と近づいてくる彼の熱い吐息が、私の露出した鎖骨のあたりに吹きかかる。その熱量に、背筋から指先にかけて、強烈な電流が走り抜けた。
絶対に一線を越えてはいけない相手。だけど、彼の手が私の腰の、水着の紐のすぐ上の素肌に触れた瞬間、冷たかった指先から一気に強烈な体温が流れ込んできた。衣服の遮るものがほとんどない私たちの距離は、この部屋の限界とともに、完全に溶け合おうとしている。
「……先輩」
拒絶したいのか、それとも求めているのか、自分でも分からない声が漏れる。鏡の中の私たちは、もうお互いの鼓動の音しか聞こえないほどに、深く、強く引き寄せ合っていた。彼の視線が私の唇に落ちた瞬間、私はすべてを諦めて目を閉じた。


