仕様書の余白
「あの、これ、どういう冗談ですか?」
手元のタブレットに表示された、あり得ない数字を見つめたまま、私は声を震わせた。
壁一面が冷酷な鏡になっているその部屋は、外部の光をすべて遮断し、私たちの戸惑いだけを何倍にも膨らませて反射している。
隣にいるのは、今季の重要プロジェクトで組んでいる取引先の担当者。いつもはスマートにスーツを着こなし、完璧なプレゼンをする年上の彼が、今はネクタイの結び目に指をかけ、ひどく困惑した顔で鉄製のドアノブを見つめていた。
「マジみたいだね。完全にロックされてる」
彼がため息をつきながら振り返る。その拍子に、かっちりとした仕立ての上着が擦れる音が、無音の部屋にやけに生々しく響いた。
制限時間は100分。それを過ぎればどうなるのか、そしてここに提示された『クリア条件』の意味。ビジネスマナーという強固な鎧で守られていたはずの私たちの距離が、この奇妙な部屋によって急激に削り取られていく。
温度を持つ境界線
時間が経つにつれ、部屋の空調がわざと切られたかのように、室温がじわじわと上昇していった。
床に直に座り込んだ私たちの間には、まだ2メートルほどの距離がある。なのに、彼が呼吸を刻むたびに、そのかすかな胸の動きまで鏡越しに伝わってくるようで、私の視線は泳いだ。
「暑いね」
彼が上着を脱ぎ、シャツの袖を腕まくりした。のぞいた腕の筋肉と、そこに浮かぶ血管に、不意にドキリとさせられる。いつもオフィスで見ていたはずの姿が、この密室では全く違う意味を持って迫ってくる。
「……そうですね」
私は膝を抱え、タイトスカートの裾を隠すように力を込めた。言葉が途切れ、沈黙が部屋を満たす。鏡に映る二人の視線がふと重なり、どちらも逸らすことができなくなった。何秒、いや、何分経っただろう。お互いの瞳の奥にある、戸惑いから焦燥、そして別の何かへと移り変わる熱を、じっと見つめ合って確かめていた。衣服がわずかに擦れる音さえ、二人の間の空気を爆発させそうなほど、緊張感が高まっていく。契約解除の夜
残り時間はもう、20分を切っていた。
この部屋という逃げ場のない箱は、私たちの理性を完全にすり潰し、むき出しの本能だけを閉じ込めている。
「もう、仕事の話は終わりにする?」
気づけば、彼は私のすぐ目の前にいた。彼の低い声が鼓膜に直接響き、その熱い吐息が私の耳たぶをかすめていく。全身の肌が粟立つような、強烈な快感が背中を駆け抜けた。
絶対に一線を越えてはいけない、ビジネスパートナー。明日からの関係を考えれば、今すぐ彼を突き放すべきなのに、彼の手が私の肩に触れた瞬間、指先から伝わる圧倒的な体温に体の芯が融解していく。
「……だめ、ですよ」
拒絶の言葉とは裏腹に、私の声は甘く震えていた。鏡の中の私は、見たこともないほど瞳を潤ませ、彼のシャツの胸元を強く掴んでいる。お互いの鼓動が激しくシンクロし、この部屋の壁がすべて溶けていくような狂おしい錯覚の中で、私たちはついに、お互いの存在を激しく求め合うように重なり合おうとしていた。


