鍵を忘れた夜の、ちいさな嘘
雨上がりの生ぬるい風が、開け放した窓からカーテンを大きく揺らしている。大学のサークル仲間である彼が「終電を逃した」と言って私の部屋に転がり込んできてから、もう一時間が経とうとしていた。狭いワンルームの部屋は、普段なら一人分の生活音で満たされているのに、今は彼の着慣れたスウェットが擦れる乾いた音や、ほんのりと残るシトラス系の柔軟剤の香りにすっかり占領されている。
「ごめん、急に。迷惑だった?」
床に座り、膝を抱えた彼が申し訳なさそうに視線を上げてくる。そのまっすぐな瞳に見つめられると、胸の奥がちくりと跳ねた。
「別に。いつも散らかってるし、気にしないで」
私は作り笑顔で答えながら、マグカップを持つ手にぎゅっと力を込めた。彼との距離は、畳一枚分。手が届きそうで届かない、いつものじれったい距離感が、静まり返った部屋の中でやけにリアルに引き伸ばされていく。
乾いた空気が湿る音
夜が更けるにつれて、部屋の湿度が上がっていくような錯覚に襲われる。彼がふいに立ち上がり、私の隣へ移動してきた。肩と肩が触れ合いそうな距離。彼の身体から放たれる熱が、衣服の隙間を抜けて私の肌へとじわじわと伝わってくる。
「本当はさ、終電あったんだよね」
彼がぽつりと呟いた言葉に、心臓が大きく脈打った。驚いて顔を向けると、すぐ近くに彼の唇があった。言葉を失った私たちの間で、重なり合う吐息だけが熱を帯びていく。彼の長い指先が、躊躇うように私の手首に触れた。その一瞬の躊躇いが、かえって二人の間の緊張感を極限まで高めていく。部屋を照らす頼りない間接照明が、彼の横顔を濃く、深く切り取っていた。境界線が溶ける瞬間
もう、お互いに視線を逸らすことはできなかった。彼の熱い手のひらが包み込むように私の頬に触れ、親指が私の唇をそっとなぞる。その指先から伝わる体温の高さに、理性が音を立てて崩れていくのが分かった。
いつの間にか窓の外では再び静かな雨が降り始め、部屋を囲む壁を濡らしていた。閉ざされた部屋の中で、私と彼の境界線は、雨粒が夜の闇に溶けていくように曖昧になっていく。彼がゆっくりと顔を近づけてくる。その強い眼差しに応えるように、私は小さく息を吐き、すべてを委ねるようにそっと目を閉じた。


