湯気の向こうの境界線
交際中の彼とは、もう三ヶ月以上も触れ合っていない。心も身体もからからに乾ききっていた私は、手違いと偶然が重なり、あろうことか熱気渦巻く銭湯の「男湯」へと迷い込んでしまった。白く立ち込める湯気の向こう、不意に現れた見知らぬ男性の影に息が止まる。彼は濡れた長髪をかき上げ、驚きに目を見開いた。
「……誰、ですか」
彼の低い声が、高い天井に反響して不自然に響く。私はあまりの動転に、ただ立ち尽くすことしかできなかった。湯気という曖昧な帳(とばり)の向こうで、彼がゆっくりとこちらへ一歩を踏み出す。カラン、とプラスチックの桶が床に響く音が、私の静止した世界を乱暴に揺さぶった。
浸透する熱と鼓動
湯気は私たちの視界を遮るどころか、互いの気配をよりいっそう濃密に際立たせていく。彼が近づくにつれ、湿った空気の中に混ざる、彼自身の肌の匂いと石鹸の香りが鼻腔をくすぐった。
「出口は、あっちですよ」
そう言いながら、彼は私を促すように手を伸ばす。しかし、その指先が私の剥き出しの肩に微かに触れた瞬間、パチリと火花が散るような緊張感が走った。三ヶ月もの間、誰にも触れられなかった私の肌が、彼の指先から伝わる圧倒的な熱量に過敏に反応する。お互いに言葉を失ったまま、立ち込める霧の中で視線が深く絡み合う。コンクリートの壁を伝う水滴のように、じわじわと胸の奥から熱い衝動が込み上げて、身体の芯が激しく脈打ち始めた。溢れ出す湯の如く
静寂のなか、響くのは浴槽から止めどなく溢れ出る湯の音だけだった。それはまるで、堰き止められていた私の抑圧された感情が、一気に決壊していく音のようでもあった。
日常の倫理も、遠い場所にいる恋人の存在も、この熱い蒸気の中にすべて融解していく。彼は私から目を逸らさず、その大きな身体で私の視界のすべてを塞いだ。触れ合いそうなほど近い距離で、彼の熱い吐息が私の鎖骨をかすめる。もう、自分がどちら側の世界にいるのかも分からなかった。ただ、目の前の彼という剥き出しの熱源に、私は強く、抗いようもなく引き寄せられていた。この一歩を踏み出せば、もう二度と元の私には戻れない。その確信が、私の指先を微かに震わせ、彼の胸元へと伸ばさせた。


