崩れゆく完璧なフレーム
「……あの、いい加減に離してくれませんか。人目もありますし」
私はカメラの前でいつも見せている、一分の隙もない上品な微笑みを貼り付けたまま、彼の手を拒もうとした。
平日の夜、港区の静かなバーの片隅。仕事帰りに突然声をかけてきた彼は、私がテレビの向こう側でどれだけ「清廉性」を求められているかなど、これっぽっちも気にしていないようだった。
「いつも完璧なニュースを読んでる人の、本音の声を聴いてみたくてさ」
彼の少し掠れた、だけど自信に満ちた低音が耳腔をくすぐる。
いつもならマネージャーを呼ぶか、冷淡にあしらうはず。それなのに、彼の手首から漂う、どこか退廃的なウッド系の香りが、私の理性のスイッチを狂わせていく。
二人の間に流れる、張り詰めたような沈黙。
私たちが向かった先は、大通りから隠れるように佇むラグジュアリーなホテルだった。
日常の肩書をすべて剥ぎ取るようなその無機質な空間が、私の張り詰めたプライドを静かに包み込もうとしていた。
歪みはじめるアナウンス
部屋の重厚なドアが閉まった瞬間、冷ややかなエアコンの風が私の火照った肌を撫でた。
「テレビの仕事、そんなに楽しい?」
彼がゆっくりと私のストールを外す。絹が擦れる繊細な音が、静まり返った部屋にやけに大きく響いた。
「……それは、仕事ですから」
強がってみせたものの、彼の真っ直ぐな視線に射抜かれ、言葉の続きが出てこない。
目と目が合う、引き延ばされたような濃厚な「間」。
いつの間にか彼は私のすぐ目の前に立っていた。彼が放つ圧倒的な体温が、私の知的な仮面を内側からじわじわと溶かしていく。
「本当は、こういう予測不能な非日常をずっと待ってたんじゃないの?」
耳元に触れる熱い吐息に、私の身体が小さく震えた。
拒絶の言葉を紡ぐはずの唇が、彼の存在感に圧倒され、私は自分がコントロールを失っていくような緊張感と、未知の刺激への期待に身震いしていた。崩壊のプロローグ
「そんな目で、私を見ないで……っ」
ホテルの大きなベッドに身を預けたとき、私は自分の心の内がすべて暴かれていくような錯覚に陥った。
いつもは原稿を正確に読むための私の声が、今はただ、彼に翻弄されるままの、不安定に揺れる吐息となって部屋の空気を震わせている。
彼の手が私の髪を乱し、完璧に整えられていた世界が、音を立てて崩壊していく。
その圧倒的な存在感と、容赦なく伝わる肌の熱量。
何もかもをさらけ出させようとする彼の情熱的な眼差しに、私は自分が画面の向こうのアナウンサーではなく、ただの一人の剥き出しの女であることを痛感させられた。
「もっと、君の本当の感情を聴かせてよ」
彼の低い囁きが頭の芯を激しく痺れさせる。
内側から突き上げてくるような、コントロール不能な情動。
私はシーツの端を強く握りしめ、自分を縛っていたすべての建前を脱ぎ捨てて、彼という底知れない引力の中へ、どこまでも深く引き込まれていくのを感じていた。


