予期せぬエスケープ
結婚して二年。どこか落ち着きすぎてしまった日常に、私は少しだけ退屈していたのかもしれない。
金曜日の夜、久しぶりに少し背伸びしたワンピースを着て、一人でバーのカウンターに座っていた。
「そのカクテル、すごく綺麗な色ですね」
声をかけてきたのは、端正な顔立ちをした年下の男性だった。
「ありがとうございます。ただの気まぐれですよ」
私は左手の薬指をさりげなく隠すように、グラスを包み込んだ。
彼がふわりと纏う、少し甘いシトラスの香水と、お互いの服が擦れるわずかな音が、妙に耳に残る。
「気まぐれな夜って、一番特別だと思いませんか?」
彼の真っ直ぐな視線に、胸の奥が小さく跳ねた。いつもなら断るはずの誘いに、私はあいまいに微笑むことしかできなかった。
閉ざされた空間の熱
気づけば、私たちは喧騒を逃れて、静謐なホテルの高層階にある一室へと向かっていた。
カードキーがカチリと音を立てて開き、重厚な扉が閉まると、世界には二人きりになったような錯覚に陥る。
部屋の照明は落とされ、大きな窓から差し込む都会の夜景が、ベッドのシーツを淡く照らしていた。
「少し、緊張していますか?」
彼はコートを脱ぎながら、ゆっくりと私との距離を詰めてくる。
私の呼吸はいつの間にか浅くなり、彼が放つ体温の熱が、肌を通じてじわじわと伝わってきた。
実は私、人より肌の産毛や質感が濃いことに、密かなコンプレックスを抱いていた。普段の生活では隠し通せているつもりだったけれど、こんなに近くで見つめられると、すべてを見透かされてしまうような気恥ずかしさがある。
「あまり、見ないでほしいな……」
私が呟くと、彼は私の言葉を優しく遮るように、私の手首をそっと掴んだ。その指先から伝わる確かな熱が、私の躊躇を溶かしていく。溶け合う境界線
彼は私の隣に腰掛け、じっと私の瞳を見つめた。その長い「間」の中で、言葉にならない空気の揺らぎが部屋を満たしていく。
ホテルの大きな窓の外では、無数の光がまたたいている。あの光のように、私の中に眠っていた感情が、一気に溢れ出しそうだった。
「隠そうとしなくていいよ。そのありのままの君が、すごく色っぽいんだから」
彼の低い声が耳元をくすぐり、温かい吐息が首筋にかかる。
彼の手がゆっくりと私の膝に触れ、ワンピースの裾がわずかに持ち上がる。人妻という立場も、普段抱えていた小さなコンプレックスも、彼の情熱的な視線と手のひらの温もりの前では、すべて意味を失っていくようだった。
お互いの存在に強烈に惹きつけられ、これまでの日常が完全に書き換わってしまうような予感に、私はただ、深く身を委ね始めていた。


